ローマ観光の定番です。
初日同様地下鉄を使います。昨日との違いは乗り換えです。
ローマの地下鉄が唯一交差するのがテルミニ駅、昨日乗ったA線からB線に乗り換えます。
上はテルミニ駅のB線ホーム。実はホテルのフロントで「コロッセオまで歩いても15分ですよ。」と教えてもらいましたが、省エネと思って電車にしました。
B線のコロッセオ駅を出ると目の前にコロッセオが。横の広場にはコンスタンティヌス帝の凱旋門が見えます。
事前に調べていた通り、ローマ・パスを持っていると専用の入口があります。(暖簾に「ROMA PASS」と書かれているところ)
ゲートのところでカードをかざすだけで入場でき、並ぶこともありませんでした。
(8:30開場で8:30に行きましたが、結構列ができてましたよ)
さて、入場して急な階段を上がっていくと競技場が見えてきます。
写真で見ていたときに不思議に思っていたんですが、競技場部分が迷路のようになっているのは地下部分がむき出しになっているからなんですね。
建造から1900年経過してなお残っているのはすごいことだと思います。よくよく見るとさすがに痛んでますけどね。
上の方にある通路。当時は席があったんでしょうか。こういう通路の窓からのぞくように見ていた観客もいたんでしょうね。
人が写っていると大きさがわかりますね。とても大きな建造物でした。
来た時の重い曇り空は徐々に快晴へ。次は並びにあるフォロ・ロマーノです。
途中、マラソン大会が行われていました。
コロッセオはローマオリンピックの際、マラソン競技のゴール地点だったそうです。
実は、すぐ近くにあったフォロ・ロマーノの入口を見落としてしまい、ちょっとうろうろしました。
この遺跡なんてまさにフォロ・ロマーノって感じなので、近くに入口があるのは間違いないと思ってたんですが。
で、結局、競技場跡近くの修復中の門から入りました。ここもローマ・パスで優先入場。
ここは古代ローマの中心地。とても広いです。
準備不足もあってどう回ればよいのか見当つかず。出たいところは決めているので、道なりで何となくそちらへ向かうように歩きました。
最初に見えたのは競技場。 結構深くなってます。
コロッセオでも感じましたが、何となく「逃げられない造り」を感じます。今の競技場や運動場とは意味が違うのかもしれませんね。
競技場から見える松の木。
ローマのあちこちに松の木があります。「どこも上だけ葉を残す切り方なんだ」と思ってました。
「ローマの松」といえばイタリアの作曲家 レスピーギの名曲があります。よくよく思うとなぜローマには松がたくさんあるのか。どうやら松は国の木に指定されているそうです。思えばバチカンにも松ぼっくりのオブジェがありました。
独特な形状も、そうなるように切っているのではなく、地中海沿岸に多い「傘松」という種類だということでした。
なにせ見所が多いので、ここからは名所中心に。
はじめは競技場あたりから見える、サン・ボナヴェトゥーラ教会'(?)。
アウグストゥス帝の邸宅。写真は入口部分、屋根はほとんど残っていませんが、とても大きな建物だったとわかります。
時代の違う建物だと思いますが、ポツンとかわいかったので一枚。
丘の上からマクセンティウス帝のバシリカ(312年完成)。ここから丘を下っていきます。
コロッセオとの位置関係がわかる写真。すぐ隣です。
ここから丘を下りていき、最初に見えたのがティトゥス帝の凱旋門、81年完成。ローマ市内で最も古い記念門とのこと。
さすがに壊れていますが、細かい装飾がこれだけ残っているのはすごいと思います。
丘を完全に下りたところ。 改めて遺跡に来ていると実感。
さて、出口の方向へ。ここから先、ますます有名どころが満載です。
遠くの白い建物が、出口の先にあるヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂です。
マクセンティウス帝のバシリカ。先ほど遠景でのせた建物で、実際には非常に大きいです。
これでも、残っているのは北側の回廊だけだそうです。
ロムルスの神殿。マクセンティウス帝の息子ロムルスのための作られた神殿。でも、ロムルスが戦死したため未完成とのこと。
アントニヌスとファウスティナの神殿(写真の角度が悪いですね)。アントニヌス帝が皇后のために造った神殿。17世紀に教会堂として再設計されているので当時の姿とは異なるそう。
この辺りから跡地が多くなります。写真はカストルとポルックスに捧げられた神殿跡。古代ローマ時代は金融の中心地だったそうです。
有名なヴェスタ神殿。火を象徴する神殿で、ここを管理する女性神官がヴェスタの巫女と呼ばれたそうです。
前に出てきていますが、やや離れたところからアントニヌスとファウスティナの神殿。
先の写真はいまいちだったので。
ジュリアのバシリカ近辺。出口が近くなってきました。
サトゥルノ神殿。かつては宝物庫として使われたようです。この辺りの建物は大分壊れていますが、それでも何度か再建されているそうです。とはいえ再建したのが497年。再建後でも十分に遺跡です。
いよいよ出口。最後にあるのはセヴェルス帝の凱旋門。203年完成。
素人丸出しですが、凱旋門ってパリだけじゃないんですね。パリの凱旋門に比べると小さいですが、形は似てます。時代としてはこちらの方がはるかに古いです。
ということで、階段をあがってフォロ・ロマーノ終了。朝一に出発して、コロッセオとフォロ・ロマーノを見終わってお昼前。歩き疲れてきました。
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